私、おそらく
人よりも気力・体力・忍耐力があるんです。
学生時代はがっつり体育会系の風土で生きてきたし、
社会人になっても超ブラックな前職で、
同期が次々辞めていく中、私は長らく辞めなかった。
ママになってもそう。
娘たちが保育園時代、夫はほぼ不在で99%ワンオペで乗り越えてきた。
ちなみに両家は遠方。
フルタイム共働きの中、リアルに一人でやってきた。
ちなみにすごい頭がよくて要領よくなんでもこなす、というタイプでもありません。
本当に気力と体力と忍耐力が強いんです。
力業で乗り越えちゃうタイプ。
もちろん私だってつらいことはつらい。
泣きたい夜だってある。
ただ、そういうのも全てまるっと飲み込んで前に進んできたのです。
【できない】と言いたくない。
【できる】自分でいたい。
これは生まれ持った気質も強いけど、
男兄弟の中でさらに強化された負けず嫌い精神なのか。
親への承認欲求からなのか。
幼い頃からその感覚が強いのです。
40年の人生、気力、体力、忍耐力で、幾多の山を乗り越えてきました。
私は強い。
ただ最近気づいてしまいました。
気力・体力・忍耐力が強いことはいいことばかりではない。
自分が頑張って我慢してきたことは問題を見て見ぬフリしていただけじゃないか。
うん。気づいてしまった。
【頑張れば大丈夫、我慢すれば大丈夫】が問題の解決策となっている。
だんだんと小さな違和感にも気づけなくなっている自分がいる。
これはまずい。
家族関係、親戚づきあい、ご近所づきあい、友達、仕事。。。
自分が我慢することで問題をないことにしていることが実は至る所にある。
そういえば、これまでもよく言われてきた言葉がある。
『よく頑張れるね』『よく我慢できるね』
なんかこれ、私としては褒め言葉として受け取ってきてたんです。
こんな大変なことも一人で乗り切れる私!!!
でもきっと違った。
普通なら、自分だけが頑張って耐えるんじゃなくて、弱音だって吐けばいいし、誰かを巻き込んででも解決策を探せばいい。
きっと周りは心配していたんだろうな。
それとも相当やばい奴だと思われていたか笑
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あと、自分が頑張って我慢することで山を乗り越えることは、
【その山は頑張れば乗り越えられる山だ】
というお墨付きを与えてしまう恐れもある。
例えば、前職は本当にブラックな企業だったが、私はひたすら耐え続けた。
耐える自分が素晴らしいとさえ思っていたし、できる自分でいたかった。
ただそれが、後輩や同じように働く女性職員にとっては厄介な存在だったんじゃないかと今なら思う。
頑張れば耐えられる証明を私がしてしまったから。
そういう存在は、耐えられない人を相対的に【弱い人・甘い人】という立ち位置に追いやってしまう。
これは本当に深刻な話。
仕事でもそうだし、子育てでもそう。
頑張れる人、我慢できる人基準で物事が計られるのは本当に危険だと思う。
今思えば、ブラックな環境に耐えられず、退職していった前職の職員たち。
会社からの見え方は【弱い人・甘い人】だったけど、
実は問題に気づき人生の軌道修正したことは賢く正しい判断だったんじゃないかと今なら思う。
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四十にして気づいてしまった自分の気質。
これは幼少期から雪だるま式に自分で今の自分を作り上げた結果でもあり、
向き合わなければいけない自分なのかなと。
問題の本質に気づけない、なんて言葉も出てきたけど、本当に本当の問題は自分の中にある。
きっとそうなのだ。
四十にして惑いまくりの秋であります🍂
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